マズローの欲求の6段階「自己超越」した人間は存在しない派
「募金した」「支援した」というツイートは他人の目を意識した自己顕示欲によるものだから、「いい人だと思われたい」という承認欲求のためにツイートしてるんだ。発達しすぎた人間の脳は承認欲求を得ることで「はぁはぁ」感じられるように作られている。そして、人は「自己顕示欲」と「承認欲求」を得られない環境で生活すると、バレーボールをウィルソンと名付け、話し相手にしながら生き抜く。
んで、わしの持論だが自己顕示欲に隠れた様々な承認欲求は、無意識に得ようとしている場合もあるのではないかと考えている。なぜなら、人は良心や道徳でいいことをしたと思っていても、お礼を言われずに感謝されないと不快な気持ちになるからだ。だから、人は第三者の目の見えるところで良いことをしたほうが承認欲求が満たされやすい。神経伝達物質をダイレクトに感じてる脳は人前で良いことをすると、気持ちよくなることを分かっているんだ。
人間はみんな役者!外見や言動で何を演じているのか見抜ける
崇拝している尊師が「情緒ベネフィット」の説明をしているときに「人間はみんな何かを演じてる」って言ってたんだけど、わしもその通しだと思う。脳に障害がある人は省くけど、基本的に人間は「○○だと思われたい」という欲求を持っていて、身につけている物、服装、言葉、SNSのつぶやきや写真にも何かしら承認欲求が見え隠れしたりしている。それは自分が一番理解しているはずだ。
例えば、わしの日記をツイッターをオチしている人がいるかどうかわからないけど、わしは自虐的なこと言ったり、スレが止まるようなギャグを飛ばすときがある。これは「変な人」や「おもしろい人」と思われたいという承認欲求によるものだろう。わしには武庫川や淀川の血が流れてるから、人から感謝されるより変態だと思われたほうが、脳が感じるようにできてるのは致し方ない。
「金持ち自慢」も「不幸自慢」同じ承認欲求
また、人によって間接的にお金を持っているアピールをしたり、不幸な生活を送ってきたアピールをするメンヘラがいるけれど、この自己顕示欲にも「稼いでいる人」や「不幸な人」と思われたいという同じ承認欲求が隠れていたりする。ちなみに本当はかまってちゃんなのに、これを隠しているタイプも存在する。
さらに、同情を引くために色つけて話してたり、写真まで添付した日にはけっこう強めの承認欲求が働いている。んなもんで、意識を高いことをポエム風に語ってたり、趣味や特技の写真、ブランド物が写った写真、リア充アピールした写真をツイートしてる人をみたら「いいね」を押したほうがいいだろう。その人の脳では「なんとかミン&リン」という神経伝達物質が分泌されて一時的に幸せになれるからだ。
偽善や承認欲求のために募金して誰に迷惑がかかるのかと
自分の存在をアピールしたり、自分の考えを発言したりする自己顕示欲や、その自己顕示欲から得られる承認欲求は健全な人なら誰にでも存在する。だから、承認欲求や偽善のために募金することは批判される行為ではない。
それに、支援のきっかけが良心だろうが偽善であろうが、優しさは伝染(感化)するのでプラスに働く。逆に偽善で支援したとしても、人から感謝されることで善人に変化することもあるのだ。
むしろわしはマズローの欲求の5段階の欲求階層の上にある「自己超越」に達した神みたいな人はいないと考えている。超絶良いことをして歴史に名前を残した人物も、自己顕示欲からの承認欲求のために偉業を成し遂げたのだと思っている。残念ながら、世の中にいるいい人=いい人と思われたい人なんだわ。でもそれでいいと思う。
人は自己顕示欲からの承認欲求のためにhagex氏のように命を危険にさらすこともできれば、それを失えば低能先生のように人を殺すこともできるんだ。
感情移入すると良心が働く
んなもんで、わしは、募金してる人はすべて承認欲求や偽善によるものだと思い込んでいたんだが…だがしかし!上のような悲しいエピソードを見たり聞いたりしたときに、感情移入して良心が働くことに気づいた。100%聖人みたいな人が本当にいるのであれば、その人はどんな相手の気持ちも理解できる人だろう。
買い物や恋愛でも心が動いたときに、財布の紐が緩んだり、急に人を好きになってしまうことがあると思うけど、多分それと似たようなものだろう。ちなみに、きっかけは良心であろうと、それを誰かに言った瞬間、やはり脳は承認欲求を得ようとしているんじゃなかろうか。
この心理を利用して寄付金を募ってるのが障がい者を歌ったり踊らせたり、芸能人にマラソンさせてるうん十時間TVだ。赤十字なんかも一定の金額を募金すると勲章や賞状を送ってくるから人の承認欲求を利用しているのやもしれない。募金したらその場でもらえる「赤い羽根」とかも。
ギャラ・経費云々の話は置いといて、あかの他人から金を集めるためには正しい戦略だと思う。んなもんで、自ら支援のために募金を募ったり・クラウドファンディングするのであれば、相手の心を動かしたり、承認欲求が得られるギミックを仕掛けとかないと金は転がりにくいということだ。
好意返報&集団心理(優しさは伝染する)
あとは、これもマーケティングやおつむの教科書で習ったが、人はなにかしてもらったときにお返しをしないといけない好意返報性という心理が働くようだ。だから、過去に募金をしてもらって助けてもらった人が困っている人を見て募金をしたりすることもあるんじゃなかろうか。ただ、辛い思いを経験をしていて相手の気持ちが分かるからこそ、良心が働いて募金することもあるのやもしれぬ。
あと、社会的証明(集団心理)が働いて募金する人もいるんじゃないかな。そう考えると、募金や支援する行為は、承認欲求、偽善、良心に関係なくプラスに働くので偽善云々なんて批判の声は気にしなくていいんじゃないかなと思う。ちなみに過去のわしは「漢は無言で募金をする!こいつらは全員偽善や!」と批判する側の人間だった。偽善と承認欲求の違いってなんだろう。同じだとしたら人間みな何かを演じている偽善者だ。
山崎製パン様から避難所にパンを頂きました。ありがとうございました❗現在、23人の方々が避難しています。 pic.twitter.com/oclToD0m6R
— 岡山県総社市長片岡聡一 (@souichikataoka) 2018年7月6日
支援こそ最強のイメージ広告
そういや、特定の寄附金(募金)を支出すると、確定申告で寄附金控除として所得から差し引くことができる。一流企業なんかは人の心を変化させるために大金を使ってイメージ広告(CM)を打つけど、こういうときこそSNSで拡散されたり、メディアに取り上げられるような支援をしたほうが良い起業ってイメージを植え付けられる。
「でもあいつら馬鹿だからそれがわからないんだよ」みたいなことを、昔ひろゆきがニヤニヤしながら話してたと思う。
ひろゆきやほりえもんも自己顕示欲や承認欲求を持っているけど、いい人と思われたい承認欲求を求めずに話すからおもしろい。自分の書籍を買った信者ですら叩くときがある。たまに意味不明なことを言い出すこともあるけど、わしですら言えないことを台本なしで何のためらいもなく言ってくれる性格は見ていて痛快だ。
コメント